関 俊介ウェブサイト

ひとりごと

2024.4.24
ひきつづきドキュメンタリーを観ているのです。

今回はナショナルジオグラフィックTVの『フォトグラファー ファインダー越しの世界』という、世界的に活躍する写真家を取りあげた作品。

写真家という題材は、これぞナショナルジオグラフィックTVならでは。内容がまたすばらしいのです。写真家の仕事の様子から作品までがドキュメンタリーにおさめられているのですが、世界トップクラスの写真家の作品だから、出てくる写真がとにかくいちいち眼を奪われるのよ。

同時に、写真家の人生についてもほりさげていて、そこにはたっぷりとあるんです、物語が。

中でも世界的な名声を得ているダン・ウィンターズの、写真を通してから気持ちを表現できないがゆえに息子との関係がうまくいかなくて、幼いころから撮り続けてきた息子の写真を並べたときに交わす親子の会話がね、苦しくて痛いんですよ。

人間って完璧じゃないからおもしろいのだけれど、不完全であるがゆえに他者を傷つけることもままあって、それが取り返しのつかないことになってしまったりもするわけで、悲劇と言うと当人には失礼かもしれないけれど、悲しいよなあと。

それとイギリス系ガーナ人キャンベル・アディの、ガーナ出身で厳しい信仰を持つ家に育った黒人であるがゆえに、クィアだと告白してからの家族との断絶とか、自身の個展でしばらく話していなかった母親を呼ぶ場面は、いいのよね。その母親がこれはあなたなりの聖書なのねと理解を示すところとかさ。

他にも海洋生物の保護活動をしながら写真も撮影しているポールとクリスティーナの、いやいくらなんでも動物が近すぎるでと言いたくなる魅力的なポールの写真とか(撮影していて気づいたら450キロぐらいの熊が三脚で寝ていたそうです)、卵がヒヨコになる過程を撮影したアナンド・ヴァルマとか(血管とか心臓ができあがってくのよ)、冒険家でもあるから誰にも撮れない場所からの撮影を可能にしているクリストル・ライトとか(この人にも重いけれど魅力的な物語があるのです)個性的で、おもしろい人たちがいっぱい出てきます。そんな中で最も印象が強かったのはムハンマド・ムヘイセン。

紛争地帯に出向いて撮影をする報道写真家だったけれど、自分の興味は難民キャンプなどで生活する人たちにあって、その人たちの生活を変えたいと写真を撮り続けるわけです。その写真には難民としての過酷な生活と、それでも必死に生きている姿が捉えられていて、特に子供たちの笑顔の写真なんかがさ、胸を打つのですよ。

その中の一枚、トラウマを抱えた少女の写真が世界的に注目を集めて、その子に多くの言葉や贈り物が寄せられるようになって、何かが変わるかもしれない、少なくともその子の人生を写真で変えられるかもしれないと期待するのですが、そんなことにはならず、七年経っても同じキャンプで生活しているという現実が、ね。

不条理まみれなのが現実ってやつで、不条理に対して文句を言っても何も変わらなくて、あきらめてしまうからやっぱり現実はふざけた様相のままで、さりとてふざけんなボケって声をあげても動いても何も変えられなくて、現実は不条理のまま。

私は物語が好きで、物語の力を信じています。『フォトグラファー ファインダー越しの世界』に登場する写真家たちの物語もそうだし、空想から生まれた物も、それぞれにとても強い力があると思っています。そして物語には希望がなくてはいけない。ただ不幸なだけの物語なんて誰も読みやしないもの。希望とか夢があるからおもしろくて、受け手の心を動かす。そういうものだと思うのです。

不条理な現実ってもんに対して、せめて物語を使って復讐する程度には、期待を持っていたいよ、あきらめずにいたいよな。そんなことを観ていて考えたりしました。戦争、いつまで続くんやろね。

そんなおいらの個人的な気持ちはともかく、このドキュメンタリーは本当に良かったのでおすすめ!

2024.3.22
先日、熊本県で長年おこなわれていたアサリの産地偽装問題について告発したドキュメンタリーを観まして。

輸入されたアサリは市場に出荷する前に、一度干潟にまく蓄養という工程を経ているそうです。これによって鮮度を戻して、おいしい状態で市場に出すらしいのです。

で、海産物などの原産地の表記には、産地国よりも長い時間をかけて養殖などをすればその土地の表記にしてもよいという決まりがあるそうで、熊本のアサリを取り扱う業者はその制度を悪用。書類を改ざんして蓄養の期間を長く表記することで中国産のアサリを熊本県産と偽って卸していたという。今年の初頭に熊本のテレビ局(だったかな)が報道して発覚し、熊本県知事や農林水産大臣が会見をおこない厳格化にいたった、というのが事のあらまし。

じゃあなぜ産地の偽装をしたのか。というのが問題で。

馬鹿正直に漁に出て、養殖して、獲って出荷するよりも中国産のアサリを輸入して一週間ほど蓄養して(そもそも蓄養は一ヶ月もかけないらしいアサリが死んじゃうから)売ったほうが手軽にかせげるから。という単純な話でもないらしく。

熊本県のアサリの漁獲量は年々減っていて、獲りたくても獲れないみたいです。アサリ漁師や取り扱う業者は事業を維持するために中国産のアサリを輸入して、でも中国産じゃ売れないからと、蓄養を経たからいいやろとばかりに熊本産と偽り、それが常態化して、長年にわたって産地偽装が続けられていたとか。二週間ほど前に観ただけなのでうろ覚えです。ざっくりです。

この問題が発覚したあと、取材に応じた業者の社長さんは産地偽装を認めたうえで、親から事業を受けつぎ、自分がこの業界に入ったときにはすでに産地偽装はおこなわれていて、おかしいという認識もなかったとか。

生業にしている人からすれば死活問題なわけで、やらざるをえなかったのでしょう。が、獲れないなら事業の方向を転換するしかないんちゃうの、と利害が一切関係しない部外者の私は無責任にもそう言いたくなるのですが、今回言いたいのはそこではなく。

海産物の不漁はアサリだけじゃないよね。ウナギとかサンマとか、以前は安かったものが獲れなくなって、値段がつりあがって。その原因は海水温の上昇などの気候変動だったり、中国の経済発展にともなう漁獲量の急激な増加だったり、そもそも海から大量にかっさらう現在の漁業の仕組みにも問題があるかもしれませんが、オイラが言いたいのはそこでもなく。

このドキュメンタリーを観ていて思いだしたのです。イカナゴのことを。

毎年、春になると明石市や淡路島などではイカナゴを炊く風習があります。くぎ煮と呼ばれるやつね。でも毎年のようにこの時期になるとイカナゴは歴史的な不漁で、と関西では報じられます。値段もどんどんあがっています。

でも、去年ぐらいまでは瀬戸内海から離れて、山すらも越えた兵庫県内の大手スーパーの、鮮魚売り場に並んでいたのですよ。イカナゴが。二キロのパックで。

あのね、イカナゴを家で炊く風習は瀬戸内海沿岸、明石周辺のもんやで。山を越えたところで炊く家庭はなかなかあれへんで。

当然のことながら山と積まれたイカナゴの二キロパックは夕方になっても売れ残り。売れ残ったものは店で炊いて、くぎ煮としてパック売りをしていたのでしょうが、イカナゴは鮮度が命なのです。

売り物にするにはちゃんと眼がついていないといけない。鮮度が落ちたり炊きかたがまずいと眼がはずれます。小さく縮んで曲がっているのみならず(ここまで通常のくぎ煮)、眼の取れたイカナゴさんのお姿はなかなかのものです。その眼だけが転がっていたりもします。大量に。イカナゴの眼の深淵をのぞくとき、イカナゴもあなたをのぞいているのだ。はい、それはともかく、私は気にしないのですが、まず売り物にはならないでしょう。

売り物として見栄えのよろしくないものはどうなった? どうなったんでしょうね。廃棄かな。せめて従業員が持って帰って家で食べてくれていればよいけれど。そんなこんなですから、さすがに今年は並んでいませんでしたね。

獲れないのなら、文化も風習も理解していない大資本なんぞに卸さんでいいやんか。明石の市場「魚の棚」だけで売ればいいやん。でかいスーパーも、よくわからんもんを買いつけるのはやめようぜ。あんたんとこは恵方巻きでも売れ残りでやらかして批判されていたやん。ということが言いたくてたまらなくなったわけです。

資本主義の国だからね。カネを持っていれば買えるわけです。それを許さないとなると社会主義国家であり共産主義になりかねない(日本が世界で最も成功した社会主義国家だと評されているのはともかく)。

でもさ、守るべきものってあるやんか。どんな要因があるにせよ、獲れないのは事実だもの。だったら少ない漁獲量を地元だけに卸すとかすべきじゃない? 獲れなくなる前に何とかしないと、いよいよとなったら獲ること自体が禁止になりかねないもの。

イカナゴもそう。アサリもそう。ウナギもサンマも。他の海産物も不漁で買えなくなる日が来るかも。あたりまえのように国産の安いものを買っていられたのは、けっしてあたりまえじゃないということを買う側も自覚して、考えなあかんよなあ、と思い知らされました。

アサリの話に戻るけど、今回の報道を受けて熊本産のアサリは売り場から姿を消しました。国産のアサリはどこにもない。ほぼすべて中国産。獲れないんだからしょうがない。これが現実。熊本のアサリ業者は完全に信頼を失ってしまいました。一度ついた嘘は消えませんからね。これからが大変でしょう。でも獲れないなら獲れないなりに策を講じて、海を育てて、漁獲量の回復に力を注いで、熊本県産というブランドを確立してほしいなあと願っています。

前述の、問題が発覚したことで取材に応じて偽装を認めた、親から事業を受けついだ会社の社長さんは現在、中国産かつ天草蓄養のアサリと表記して売っているそうです。売値はかなりさがっているうえ、買い手もなかなかつかないみたいですが、がんばってほしいなあ。

でもその中国産かつ天草蓄養の表記で、気になったことがありまして。

その会社の社長さんは、最初にこの問題が報じられた数年前の時点で偽装はやめるべきだと判断し、以前から中国産かつ天草蓄養のアサリという表記にして出荷していたそうです。

そう、数年前です。問題が大きくとりあげられたのは今年の初頭だけれど、数年前にはアサリの産地偽装のドキュメンタリー第一弾が放映されていたのです(私が観たのは第二弾)。

でもそのときは全国的に報じられることなく、農林水産省も熊本県も具体的な対策に乗り出すことなく、アサリの産地偽装はひきつづきおこなわれていたそうです。

なんか、もやっとするなあ。

そうそう。もうひとつ、もやっとする(あるいはさせる)ことがあります。

実は私、アサリはちょっと苦手なのです。

ここまで長く語っといてそんなんかよ、と言われそうですが。別に嫌いじゃないんです。味は好き。香りも好き。パスタのボンゴレはロッソもビアンコも好き。酒蒸しも好き。

ただ、砂がね。

熊本産とか、他の地域産でもよいのですが、手ごろな買いやすい価格でアサリが売り場に並ぶ日が来て、今日書いたことを覚えていたら、納得できる砂抜きの方法を模索します。まずはそこから。

いや、ほんと味は好きなんですよ。ええ。

2024.3.14
ここ一ヶ月、すきあらばドキュメンタリーを観ていました。

手始めはディスカバリーチャンネルの、イドリス・エルバがキックボクシングの試合に挑む『蹴撃!キックボクサーへの道(原題FIGHTER)』。文字通り、イドリス・エルバがかぎられた時間でトレーニングを積んでプロのリングで戦うというもの。

イドリス・エルバは元々キックボクシングをやっていたそうで、プロのリングに立つのが夢だったとのこと。その夢を叶える番組とも言えるのかな。

日本に来て、沖縄で空手の修業をしたり、K-1重量級の選手とスパーリングをやったり、タイでムエタイの修業をしたり。プロとして格闘技のリングにあがる覚悟とか、格闘技のトレーニングの過酷さが映像におさめられていて、見ごたえばっちり。

さすがにK-1重量級選手がスパーリング中に二度のローブローを入れたのは仕込みだと思いたいけどね。その後にイドリス・エルバが闘争本能をむきだしにする流れもふくめて、ある種の演出だとね。

過酷といえば、ナショナル・ジオ・グラフィックの『前人未到!過酷なアークティック・リサーチ(原題Arctic Ascent with Alex Honnold)』もすばらしいドキュメンタリーでした。

ロープなしでのエル・キャピタン登攀を撮影した傑作『フリーソロ』のアレックス・オノルドが、チームの仲間とともにグリーンランドの、人間が立ち入ることのできない場所へおもむき、気候変動の調査をおこなうというもの。

個人的な見どころは、断崖での岩の採取。撮影だけならドローンでも可能になったけれど、岩を削って採取するとなると、どうしてもその場所まで行かなくちゃいけないわけで、これぞフリークライマーの仕事!

作品の趣旨としては、氷河の調査と並行してアレックスとチームがまだ誰も登ったことのない崖に挑むという流れになるので、気候変動の部分は少なくなってしまうのだけれど(同行している科学者が魅力的なので、その人を中心にした岩石調査のドキュメンタリーも観てみたい)、それはそれとして最近は競技のフリークライミングもちょこちょこ観ているから、自然の崖を登っていく姿は、それだけで映像としての力があって見入っちゃいました。

そしてスポーツがらみの(という繋げかたはこじつけかな)ドキュメンタリーで最近まで放映されていたのが『ショーン・ホワイト絶対王者の軌跡(原題The Last Run)』。

これが、めちゃくちゃよかったんですよ!

プロの大会で充分すぎるほどの結果を出しているショーン・ホワイトだけれど、オリンピックで金メダルを獲得したことは人生が変わる出来事だったそうです。

ハーフパイプはプロの競技として確立されていて、スポンサーもついていて、トッププロは競技だけで生計を立てられるようになっている(はず)。それでも世間ってやつに自分を認めさせるにはファン以外の多くの人、世間というやつが注目するオリンピックという舞台で結果を出すことが重要だったみたいです。

最初の金メダルで人生が変わったと語るショーンの嬉しそうなこと。

このドキュメンタリーは、その後も冬季オリンピックの話を中心に組み立てられています。三大会で金メダルという偉業。でもその裏には練習中の怪我があったり、若い選手の台頭があったり、それまでショーンにしかできなかった技を多くの選手もやるようになって、平野歩夢などのショーンにもできないような難しい技を出せる選手も出てきて、勝てなくなって悩んで葛藤して。

そういった心理が、ちゃんと本人や家族、サポートしていた周囲の人々の言葉で語られています。映像もすべて当時のオリジナル。再現ドラマなんかなし。

これぞドキュメンタリーですよ。

感動の実話を映画化!みたいなのをすべて否定するつもりはないです。映画『グリーンブック』とか、ものすごくよかったし。

でも映画化と同じくらいにドキュメンタリーもつくって流してほしい、と思うのです。

やっぱり当事者本人が語る言葉には説得力があります。ショーンが昔の楽しい思い出を笑いながら、あるいはつらいことを表情をくもらせながら話すのは、それだけでひきつけられるのです。映像としてエンターテインメントたりうると思うのです。

とか言っちゃうと他人の人生を娯楽あつかいするなって怒られそうだけれど、興味深くて楽しいのだからしょうがない。本も映画も楽しいから読むもの観るものだと思うもの、オイラ。当事者のインタビューが中心だと変な脚色もないしね(私が映画『ボヘミアン・ラプソディ』に乗りきれないのはこれ)。

やっぱりドキュメンタリーっていいもんやなと思う日々でございます。

そんな感慨にふけりつつ先日、深夜に酒を呑みながら民放地上波をザッピングしていたら、TBS系列でしょうか、熊本のアサリのドキュメンタリーをやっていました。

これは単純におもしろいとは言えない重大な問題提起がなされた報道作品で、今回の「ドキュメンタリーっておもろいぜ!」という文意からはずれてしまうので、また別の日に書きます。

2024.2.10
昨夜、たまたまCSテレ朝をつけたら世界水泳ドーハ2024の生放送をやっていまして。

競技は3メートル飛板飛込で、日本代表の榎本遼香選手は11位だったのですが、試合後に解説をされていた馬淵優佳さんと榎本選手の音声でのやり取りが、この二人の関係を存じあげていなかったのですが、よかったのですよ。

それまで解説モードでていねいにしゃべっていた馬淵さんが(しゃべりがうまい、この人!)、急に砕けた口調になり、

馬淵さん「日本に帰ったら何を食べたい?」
榎本選手「お寿司。生ものをずっと我慢していたので。だから連れてってください」
馬淵さん「行こう!」

からの、榎本選手が「馬淵さんの声を聞いて安心しました」と感極まって涙を流してしまい、馬淵さんが完全に先輩の口調で「泣かない!」とたしなめるという展開でして。

こういう選手の素のやりとり、競技の緊張感があるからこそいいんですよね。あとで調べてみると、馬淵さんは一度競技を引退したあと榎本選手に3メートル飛板飛込をペアでやらないかと誘われて現役に復帰し、でもパリ五輪の代表に選ばれず再度引退を決意したとのことで、一人でドーハに行った榎本選手と、日本で世界水泳の解説をしている馬淵さんという構図がね、物語がありますよね。ナラティブですよ。

3メートル飛板飛込がさほど注目されていない競技だからなのか何なのか、地上波でやっていなかったんですよね。少なくとも関西では。CSテレ朝でしかやっていなかったんですよ。

地上波で流してほしかったなあ。

以降の、明日からだったかな、世界水泳2024は地上波でも放映されるみたいなので、時間が許すかぎり観てみようかなと思っています。

とはいえ明日はCSテレ朝で新日本プロレスですが。あと、録りためたドキュメンタリーものを堪能するのです。

2024.2.9
CNN日本語版のニュースを読んでいたら、香港の多国籍企業に勤める会計担当者が詐欺グループに約38億円も送金してしまうというニュースを見つけまして。

そのニュースがこちら

詐欺グループは会計担当者を騙すためにビデオ通話を用いて、最高財務責任者になりすましたとのこと。ん?ビデオ通話で?騙す?どういうこと?と首をかしげつつ記事を続けて読むと、なんとこの詐欺グループ、ディープフェイクで最高財務責任者や同僚の姿と声をつくりだして、それでビデオ通話をおこない会計担当者を信用させたという。

それは信じてしまうわ。どうにもできんわ。

ディープフェイクの悪用は以前から問題視されていたけれど、とうとうここまでになるとはね。おそろしい世の中です。

とまあ、時間の空いたときにはCNN日本語版などに眼を通していたりします。意識を高く持とうとかじゃなく、単純におもしろいから。日本では報道されないことにも触れられるからね。

でも今月末で日本語版アプリのサービスは終了とのこと。

ロイターの日本語版アプリも去年とかに終了していて、ロイター同様にCNNも「今後はブラウザでどうぞ」と案内されていました。アプリの運用ってカネがかかるのかなあ。広告収入の問題とか?あるいはアップルかグーグルのプラットホームの下での報道には不都合とか不自由があるとか?

どうであれ、便利だっただけに残念。今後もブラウザで記事は読むつもりだけれどね。

アプリといえば、ソーシャルメディアも何だか騒がしくなっておりますな。ブルースカイという、あれ。招待制を廃止したとかで、今後はユーザーも増えていくのではと目されています。

ソーシャルメディアに対しては利便性や楽しさは認めつつも、どうにも乗っかりきれないもやもやを抱いていたのですが、ツイッターがXになってからの、トレンドにわんさかぶらさがる「違うアカウントなのにまったく同じつぶやき」の激増で、いよいよ性に合わんわいという気持ちになり。

さりとて、どうにかこうにか自分の存在を知ってもらって本を手に取ってもらわないといかんともしがたい立場の私としては、やらないわけにもいかず。とはいうものの利用方法がへたくそだから、まったく広がっても知られてもいないのだけれど(もっと反響が欲しいよぉ)。

そんな中でのブルースカイ。やってみるか。様子を見るか。アカウントを使ったところでどんな投稿をするべきやら。頭を抱えておりまする。スレッズもインスタもどう使えばいいのやら、になっているのに。

勢いでアカウントをつくって勢いで投稿して、何の反応も得られず、つまらん!とやめるかもしれないし、用心に用心を重ねて動かないかもしれない。現在は模索中でございます。興味はあるんだけどねえ。

とりあえず今は当ウェブサイトにて、つらつらと書いてまいります。皆様におかれましてはブラウザ経由でお楽しみいただけたら幸いです。

そんな私ですが、私が参加した『万象3』や私が寄稿した『サナギ世界』の感想とか、他の著作についてもどんどんソーシャルメディアで書いてほしいのでよろしくねっ(他力本願)。

2024.1.25
先週のニューズウィーク日本版のコラムで、イギリスの郵便局にからんだ冤罪事件がとりあげられていまして。

14年間で700人以上の郵便局長が横領の罪で訴追された事件なのですが、実は新しい会計システムにバグがあって、そのせいでシステム上の記録に誤りが生じていたのを、捜査当局は横領と認定して罪に問うてしまった、らしいです。

こんな事件があったなんて知らなかったよ。冤罪だけでもひどいのに、その新しい会計システムを開発した企業はどうやら欠陥を知っていたらしく、社会的な問題に発展したのだとか。そら、発展するわいな。

で、システムを開発したのが日本の富士通でございます。

ニューズウィーク日本版の今週号のPERCEPTIVE(今週の話題みたいな欄)に、富士通の社長が多くの郵便局長やその家族に謝罪したという一言が載っていました。遅すぎやせんか。

まずいことがあると隠したくなるのは感情として理解できますよ。隠してやりすごして、なかったことにしたい気持ちもね。でもさ、隠していてごめんねっ、で許されるのは個人の問題だけでしょ。企業とか組織は謝っても済まされませんよ。

初動を間違えた代償の大きさは今後富士通が背負うことになるのでしょうけれど、ちっぽけながらもこの国で生きる日本人の一人として、何をやってんだか、とあきれるばかりなりです。

日本企業の謝って済まされない不祥事といえば、最近もありましたよね。ダイハツの認証不正問題です。認証試験の不正は実に30年にも及んでいたとかで、もはやめちゃくちゃ。

実は母親がダイハツの軽自動車を所有していて、しかし高齢とちょっとした病気により運転はもう無理だろうし維持費もかかるから処分しようということで、購入した販売店に相談して買い取ってもらったのです。それが昨年11月の最終週。それから二週間やそこらで不正が発覚ですよ。

いやもう、あっぶねー、というのがきわめて個人的かつ正直な感想。

買ったところに相談したのでそこそこいい金額で買い取ってもらったのですが、あとちょっと処分の手続きが遅れていたら買取り金額はどうなっていたことか。それどころか買い取ってもらえていたかどうか(購入から処分までお世話になったダイハツ販売店の若い店長はいまごろ大変やろうなあ)。

消費者が商品なりサービスを選ぶときの基準は、商品の質と、あとは作る側への信頼。そこをないがしろにして客を裏切ったら終わりだよ。企業、特に上場企業には社会的責任というものがあります。あるはずです。ないと困るもの。ビッグモーターもそうやったけど、利益のために顧客満足ではなく嘘と隠ぺいを選ぶ企業は、存在していてはいけないよ。

そんなことを思いつつも口調がいくぶん柔らかいのは、すんでのところで母親の軽自動車を納得できる金額で買い取ってもらえたからという安心感ゆえ。いや、ほんと危なかったわい。

2024.1.7
新年明けましておめでとうございます。

今後の活動は完全に未定で、良い展望がひらけたりもしておりませんが、新年ですし、気持ちを新たにやっていきたいなと思っています。

ちなみに去年のひとりごとはこちらに保管しています。ご興味のあるかたはどうぞ。

今年の干支は辰で、私の干支が辰です。で、よく考えたら『ワーカー』で日本ファンタジーノベル大賞の優秀賞を受賞したのが12年前の2012年でして、そのときも辰年だったんだなということに気づきまして。縁起をかつぐ性格ではないのですが、例年にはない何か良いことがあればいいなあと。そのためにもまずは書かないとね。

ということで長編にとりくんでいます。まずは企画として組みあげて、手応えが得られれば。

そんな正月ですが、ナショナル・ジオ・グラフィックの『ザ・ミッション サタン最後の砦に挑んだ宣教師』を観ました。文明と接触していない部族にキリストの教えを広めてキリスト教に改宗させようと試みて、結果として殺された宣教師のドキュメンタリーです。

とにかく重い。

福音派に属し、大宣教命令を自らの使命と信じた青年の行動は、信仰を持たない私には理解できない。福音派が伝動を煽るのも傲慢にしか見えない。

でも心から信じている人に、それは相手のことを思いやらない自分勝手なふるまいだからやめなさいと説いたところで通じない。だってその人は伝動が正しいと本当に信じているのだもの。命を賭けてでもやるべき使命だと疑いもしないのだもの。

ドキュメンタリーには、ブラジルだったかな、同じように未開の部族に接触した人が出てきます。部族の言葉を覚えて部族の一員になってキリスト教の教えを広めようとしたが、自分のおこないの傲慢さに気づいて部族を離れて帰国し、信仰を捨てて、伝動にも否定的な立場に変わった人です。気づくにいたった経緯が個人的には心に静かに刺さったエピソードでしたので、詳細はドキュメンタリーをご覧いただければ。

もしかしたら信仰心の篤い人は、この人には信じる力が足りなくて、だから迷いが生じて挫折したのだと思うかもしれない。でも相手の気持ちを本当に理解して、ようやく自分のおこないは間違っていると気づいたその人の変化にこそ、人が人として群れをなして生きていくための重要なものがあると思うのです。

正しさは絶対じゃなくて、人の数だけあって、自分と他人は違うと認めてはじめて群れとして成立するのだ。という考えは、神仏習合なんでも取りこんでやるぜっクリスマスもハロウィンもパーリィナイッ、という日本で生まれ育ったからでしかないのかも。でも他人への許容とか容認がないと、その先は傷つけあう未来しかない。と思うのです。現実に世界のあちこちが戦争状態だし。

だとしたら、その青年が抱いた使命や持っていた正しさも、その人を構成する要素として認めないといけないよな。できるのか。もし身近にそういう人がいたら、そんなのは間違っていると反論しそうになるけれど、それはそれで傲慢なおこないやんかと。

人と人。思想。信仰。難しいよなあと考えさせられたドキュメンタリーでした。

そんなこんなで、本年もよろしくお願いいたします。